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    ――「やあ、おいでなさい。わたし相沢です」

    腹に物がつめこまれると、さつきはあんなにへたばつてしまつた神主の一隊もどうにか元気がついたやうであつた。これからいよいよ町通りである。自分の家の前を、妻子や使用人達がずらりと見物している中を、しやちこ張つて、堂々と歩かねばならないのである。で、大半はいつのまにか草履や下駄にはきかへていたものの、まだあの木箱をひきずるがらがらいふ音をたてて、紅い色の滲んだ、紙衣の神官達は、笏を前に構へ、気を張つて真正面を向いたまゝ繰り出して来た。俳優で云へば、まさに花道の出にさしかかつて来たところである。

    一わたり済むと、練吉は最後にもう一度注意深く病人の顔をぢつと眺め、

    「うん、うん。あ、さうだ、顔を一寸洗はなくちや」

    「これからどちらへ?」

    時々、澄んだ甘い柔味のある、痩せたすんなりした身体つきを想像させるやうな盛子の声が、はじめは稍張りのある調子で起つて、途中で何かしらはにかんだやうに細く聞えがたくなり、又時々ピツと語尾が跳ね上るやうになつて響いて来た。それは身体の動きとは別に、声そのものが絶えずどこかに柔かくくつついたり離れたり、又そこらを歩きまはつたりしているやうであつた。

    「あれですよ。半之丞の子と言うのは。」

    「杉倉まで――」

    それで安心したやうに引つこんだが、しばらくすると又のぞいた。

    その通り、近くに似たやうな河はいくつもあつたが、それは鮒がたくさんとれると思ふと鮎がさつぱり駄目だし、うす濁りがしているし、ずつと先の木ノ川は河幅こそ広く水もたつぷりしているがあんまり大きすぎてよほど上流まで行かないと鮎をとる手立てがない、してみるとやはり、この吉賀川は彼等の口にするごとく「名うて」の川にちがひなかつた。

    彼が感動したのは他でもない、決してつかまらない年月といふもののふしぎさ、その尨大な、とりとめもない曖昧さ、しかもなほ決して空虚ではない、いや空虚とその反対のものが一杯にまざり合ひ、犇ひしめき、微妙につながり合ひ、その或る時は軽快に、或る時は重々しく、何かはつきりしているかと思へば混乱し、――さういふ得体のしれない経過のせいだつたのである。

    と、相手は慌ててその筒抜けな声を庫裡の居間に向けて放つた。

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